他人の期待に応える

 

他人の期待に応えようとする人は、

必要以上に自分に無理する傾向が強いです。

それが良い方向へと向かうならいいですが、

 

大概は疲れ果ててダメになる・・・

 

こうした他人の期待に応える行為は、

本来の自分とは違う自分を演じてしまうので、

日が経つごとにどんどん苦しくなるのです。

それが仕事なら続くわけがないのです。

 

これは転職を繰り返す人に多い傾向で、

必要以上に期待に応え過ぎて疲れてしまうか、

期待に応えられなくて自己評価が下がってしまい、

その環境に居られなくなるかのどっちかです。

僕なんかがそんな典型的な人間でした。

 

上司や先輩に期待されることを言われると、

意識の中で期待に応えないと”いけない”と、

自分の中で強制的な意識が芽生えるのです。

 

今回は他人の期待に応えてしまうあなたへ、

その期待に応える必要はない理由をお伝えし、

それによって自分の本当の生き方を見つめられ、

自分に対する期待を持つ生き方をお伝えします。

 

きっと気持ちの中にあるわだかまりが取れることで、

肩の荷が降りて今後楽に考えられるでしょう。

 

 

スポンサーリンク
 

他人の期待に応える為に人生を棒に振るな

 

恥ずかしながら僕は、

過去に何度も転職を繰り返してきました。

自分が何をしたいのか全く分からなかったし、

自分に特技もなければ何の資格もなくて、

 

雑用くらいしか役に立たない・・・

 

そのくらい自分を過小評価してました。

実際、正社員の面接に行けば何度も落とされて、

そんな経験から自分は価値がない人間なんだと、

無意識に思うようにもなってたんですね。

 

そんな中でも、

なんとか働ける仕事を見つけてはいました。

働かないと生きていけないので正社員以外で、

バイトでも派遣でもいいから働いてました。

なので一生懸命に仕事はしてたんですね。

 

すると周囲の人達から、

自分の仕事を評価してくれるようになりました。

僕自身も嬉しくて自己重要感が満たされました。

 

けど一方ではできない自分への怖れもありました。

 

今までのように一生懸命に仕事をすれば、

今までのようにみんなが認めてくれる・・・

だから今まで以上に頑張らないといけない。

 

もし自分が頑張ることをやめてしまったら、

周りの人達は自分のことを認めなくなり、

その逆に邪魔者扱いされるかもしれない・・・

 

実際、仕事ができない社員達は、

上司や同僚達からいじめを受けたりしてました。

しかもどの職場も同じ光景が見られました。

 

そんな光景を見てきたのもあって、

頑張らないと恐ろしい目に遭うと思い込み、

無意識に他人の期待に応える自分になってました。

 

手抜きをする自分が許せないのです。

どこかで誰かに見られているような感じがして、

デキる自分でい続けなければいけない気がして、

職場内で独りになると凄く落ち着けたんですね。

 

けど他人の期待に応えたところで、

結局、自分を偽って無理し続けることなので、

どの仕事も続くことがありませんでした。

 

このように仕事ではよくありがちな話ですが、

他人の期待に応えるって他にたくさんあります。

例えば以下のようなものです。

 

  • 良い点取って良い学校に通って親を喜ばせる
  • 良い会社に入って身内や親せきに喜ばれる
  • 彼(彼女)に嫌われたくないから演じる
  • デキるとか賢い自分になろうとする
  • どんな誘いを受けても断れない

 

スポーツなんかでこれをやってしまうと、

怪我のリスクがかなり高くなります。

なぜなら能力以上のことをするからですね。

 

他人の期待に応えることに囚われてしまうと、

本当はどうしたいのかが分からなくなります。

他人のことばかり気になってしまうからです。

自分と向き合うことが難しくなるのです。

 

そして他人の期待に応えられなかったら、

自分はダメな人間とか、価値がないとか、

自分が嫌になって責めてしまうのです。

 

他人の期待に応えるために生きるというのは、

自分の本音で生きることを拒否してることであり、

自分の人生を他人に預けることでもあります。

 

つまり他人の期待は不自由な人生なのです。

 

無意識にその鎖に縛り付けられてしまい、

けど自分の本音を消すことなんてできないので、

その間で揺れて葛藤に苦しむことになります。

 

本当の自分は自由にやりたいのに・・・

けど周りの期待があるから応えないけいない!

 

これって別の角度から言うと、

本当は独立して好きなことをしたいのに、

上司が期待して辞めさせてくれないみたいな、

 

自分の言い訳として使う人もいます。

 

つまり他人の期待に応える人生というのは、

自分に言い訳をする癖もついてしまうんですね。

 

「親が言うから」

「妻(夫)が止めるから」

「上司に引き止められたから」

「友達に言われたから」

 

やらない言い訳になってしまうのです。

だってやらない方が楽なんですもん。

 

その代わり、

不満の人生で終わってしまいますが・・・

 

自分が本当はどうなりたいのか。

自分の本音で生きるということは、

他人の期待に応えるみたいな択一的なものじゃなく、

 

どんな時でも無限に選択肢が広がっているのです。

 

だから本音で生きる人生は可能性が広がるし、

そうした人達が人生で大きく成功するわけです。

 

その分掴みどころがなくて難しく感じますが、

だからこそ人生を掛けて追い掛ける価値があるのです。

 

 

そもそも期待とは何なのか

 

ではそもそも期待とは何なのでしょう。

あなたは期待というものを考えたことはりますか?

何となくのイメージしかないのではありませんか?

ネットで検索すると以下のように出ます。

 

何らかのことが実現するだろう、と望みつつ待つこと。

また、当てにして待つこと。

wikipedia

 

という意味になるようです。

けどこの「望みつつ待つ」や「当てにして待つ」とは、

正しく他人があなたを期待して当てにすることであり、

言い換えると他人に利用されてることでもあります。

 

なぜなら期待とは個人の願望に過ぎないからです。

親が子に抱く期待だって結局は願望なのです。

 

なので子供が本当のやりたいことを告白しても、

それを許さない親がいたりするものなのです。

そこは本当に気を付けたいものです。

 

親も当然子供のことを思ってのことでしょう。

けど親自身もその真実に気付けないことが多く、

いつの間にか自分の願望の押し付けになっている・・・

そんなケースが世の中でいくらでもあるのです。

 

しかし他人の期待に応える人生では、

自分の本音とは遊離してしまうので前述したように、

他人の期待と自分の本音の間で揺れるのです。

 

 

要らない荷物は捨て去ろう

 

ただただあなたに寄り掛かり、

自己満足したい人達の期待。

そんなものに応える為に、

 

貴重な人生を棒に振るのは勿体ないと思いませんか?

 

それにそもそもの話になりますが、

それがあなた自身の好きなことならいいですが、

好きでもないことで頑張っているとしたら、

成長もないし、すぐに限界が訪れるのです。

 

それよりもワクワクや楽しさを感じること、

そんな自分の未来に期待した方が、

よっぽど人生は充実するのは目に見えて明らかです。

 

他人の期待に応えるのではなく、

自分の人生を豊かに自由にする為に行動する。

 

自分へ向けられる期待は一切受け付けないし、

同時に相手に対しての期待もしないこと。

 

こうした考えで生きていくことが、

精神的に自由になっていく考え方です。

これが自立であり、自分をラクにする生き方です。

 
   

スポンサーリンク