毎日窮屈に生きている人生なんて誰もが嫌なはずです。
たとえば好きでもない仕事を生活の為に我慢してやること、
希望の会社に就職できても理想と現実は違いつつも無理すること、
それに学校では好きな教科だけじゃなく嫌いな教科もやらされる。
そう、なぜ好きな教科だけやることがいけないのでしょう。
あなたはこのことについて考えたことはあるでしょうか。
それは社会人になって偏った知識だけになってしまい、
社会生活をする上で困ることになってしまうからでしょうか。
けどここである重大な問題が前提としてあるのです。
それは雇われて働く一生を送るという前提です。
僕達はお金は働くことで稼ぐという認識があります。
生活するには働かないといけないので当たり前のことですよね?
では世の中で働かなくても裕福な暮らしをしている人達がいます。
これはどういう風に説明がつくのでしょうか。
間違いなく世間一般の常識では実現できないことです。
けどそのような成功を掴んで豊かに暮らしている人の方が、
雇われて働いているほとんどの人達より生きる力があります。
正社員として働いている人達にゆとりなんて感じられるでしょうか。
毎日忙しく時間に追われ、ノルマに追われて必死にやってます。
仕事が終われば同僚と愚痴を言い合う飲み会で時間をお金を浪費し、
仕事が溜まっていれば残業をして夜更けまで働かされてしまいます。
そして翌朝になると、また同じようなことの繰り返しになります。
こんな生活のどこに生きる力なんてものが湧いてくるのでしょうか。
僕も30代半ばまでサラリーを貰って生活をしていました。
なので何の為に生きてるのか全く分からずにいました。
毎日、好きでもない仕事を時計の針と睨めっこしながらやってました。
違う人生を生きたいと望んでも何をしていいか分からなかったです。
では、そもそも生きる力とは何なのでしょう。
それは雇われて働く一生を送る前提を捨てることです。
今やってる仕事に自分の価値を感じるでしょうか。
具体的には使命感とか世の中に貢献しているという実感です。
もし、それが全くないのならその場所にいても窮屈なだけです。
窮屈とは仕事が忙しいとか時間に追われる日々というだけではありません。
退屈でも時間を持て余しても空っぽな人生なら同じことなのです。
雇われる限りは結局このどちらかでしかない場合がほとんどです。
学校で学ぶことはサラリーマンとして生きるために必要な知識です。
社会の常識とはサラリーマンとして生きるための常識でしかありません。
学校では算数や国語や社会など誰もが同じ学びを同じ量だけ学びます。
それは平均的な日本人を作って社会に順応させるためなのです。
そしてそれだけじゃなく、時間においても同様のことが言えます。
毎日同じ時間に登校し、決まった時間から勉強が始まり、
決まった時間に昼食をとり、決まった時間に学校は終って帰ります。
けどこれって誰もが疑うことなく当たり前のように過ごしていきます。
何故なのか不思議に思っても深く考え、調べる人なんていません。
誰もが疑うことなく当たり前のように思っているのが怖ろしいのです。
そうやって僕達は社会に順応するように洗脳されていきます。
結果、何のために働いてるのか?生きてるのか?分からなくなるのです。
なぜなら、計画の立て方、夢の実現の仕方、お金の使い方、
それに自分の感情との向き合い方など学校では学ぶことはありません。
こうした本当の自分を見つめ、自分の生き方を掴んでいくことこそが、
本当の意味で生きる力であることは世の中のほとんどの人が知りません。
なので生きる力とは何か?なんてネットで検索する人が多いのです。
学校教育では平均的なサラリーマンを育成する機関に過ぎません。
真実はそんな社会の常識の枠の外に存在するのです。
学力がどうとか道徳がどうとか子供の教育がどうとか、
世の中のありとあらゆる情報のほとんどは生きる力とは無縁です。
そんな自分のことが分からずしてやりたいことなんて分かるはずもなく、
一念発起して努力してみたはいいけど結局徒労に終わってしまうのです。
そしてその努力が報われなかったことに力尽きてしまい、
「自分は所詮こんなものだ・・・」
と勘違いしてまた社会の常識に縛られてしまうのです。
僕の友人で20代の頃に公認会計士になるという夢を持った人間がいました。
彼は一生懸命に勉強に励んでいましたがそもそもが誤った考えでした。
なぜならその勉強そのものがサラリーマンのためのものだからです。
彼は独立して事業を持って自由な暮らしを実現したいと思ってました。
そのために資格を取って会計事務所で数年間実務経験を積んで、
それから人脈や必要な資金を貯めて会計事務所を立ち上げようとしたのです。
ところが資格取得で上手くいかず、僅か2年も経たずに諦めてしまいました。
今では不動産会社に就職して、何も考えず退屈な日々を過ごしているようです。
今年の夏に久しぶりに会ったのですが見事に肥満体型になってました。
毎晩、一人晩酌して本人自身も止められないほどアルコール依存になってました。
以前はアパレルショップのお洒落な洋服を着こなしていた彼ですが、
今ではすっかり会社の同僚からもらった適当な服を着て過ごしています。
それに髪だって美容室に行ってプロの美容師にカットしてもらってのが、
セットするのも面倒なので適当な散髪屋で短髪にしてもらってるそうです。
趣味はというと会社の同僚に誘われてやってる釣りなんだそうです。
何だか趣味まで地味になってずいぶんと様変わりしてました。
きっと彼の将来は、そのまま退屈なサラリーマンを続け、
アルコール依存が止められず肝臓に異常が出ては入退院を繰り返し、
医者から止められても酒を飲んでは現状の不満を嘆いて何も変えられず、
行きつけの居酒屋で記憶が飛ぶほど飲んで店主に迷惑を掛け、
好きな人ができても自分の惨めな姿に諦めて一生独身で生きるでしょう。
何の味気もないサラリーマンを過ごして定年は空しく年金暮らし・・・
こんな人生、あなたも送りたいとおもうでしょうか。
完全に生きる力を失うとはこういうことです。
なので学校で学ぶことや社会の常識に従っても幸せにはなれないのです。
けど常識の枠から出ればお金を稼ぐ方法なんていくらでもあります。
どこかお金を悪いことのように思っているのも社会の常識の縛りです。
給料の話ってどこかいけないことのように感じないでしょうか。
本当はそんなこと絶対にないはずなのになぜかそうした気持ちになります。
それこそが植え付けられた前提であることに気付かなければいけません。
もちろん、サラリーマンとして生きることに向いてる人だっています。
誰だって生き方を全く変えれば幸せになれる訳でもないでしょう。
けど仕事が精神的に辛いのに我慢して生活のためにやっているのなら、
その場所は合っていないのだと自覚して変えていく覚悟が必要なのです。
なぜなら、そのままそこにいて自分の未来が描けるでしょうか。
納得できる未来が描けないのなら方向が間違ってる証拠なのです。
生きる力とは何か?
それは自分が本当はどうなりたいかと自分に問えば分かることです。
本当になりたい自分なら生きる力は湧いてくるものだからです。
けどそれを無理だと勝手に諦めてできる方法を探そうとするから、
本当のなりたい自分じゃないのでちょっとしたことで挫折するのです。
仕事から逃げてもいいけど自分から絶対に逃げてはいけません。
あなたは本当はどんな生き方がしたいのでしょうか?
PS.
久しぶりにスノーボードのオフトレに行ってきました。
平日の昼間は、人がいなくて飛び放題でした。
今年の冬も毎日ゲレンデで遊びまくろうと思います。
PPS.
帰りに車のメーターがちょうどぞろ目だったので記念に写メを撮ってみました。
PPPS.
帰りの途中でおむすびとコロッケを買って食べようと思ったら、
揚げ物や手羽先などいろいろとサービスしてもらいました。
他にも挙げ饅頭やらサービスしてもらいましたが帰りに食べました。
これ全部でたったの500円だったのでお得でした。
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